外の風景が見えない、現実と隔離された抽象的な空間「展示室」を背景にして、床1面と壁2面に、三面図のように分割された「部屋」が配置されている。床面には「床」、壁面には「壁」、もう一つの壁面には「窓」もしくは「照明器具」のようなものといった具合である。
「床」にも「壁」にも「窓」にも入念にコントロールされた照明が組み込んであり、自ら発する光で薄暗い展示空間の中にボワっと立ち上がっている。
いずれの「部屋」も新品の装いであり、部屋の中からは作り手の気配や、人が住む気配が徹底的に取り除かれている。それは光景はまさに「からっぽ」としか言いようがない。
松井はこのような自身の作品を「抽象住宅」と呼んでいるが、これまでの作品は、鑑賞者が作品を外側からしか見ることができないものであった。
しかしこの展示では、住宅を壁や床といったパーツに分割することで、鑑賞者をその空間内に導き入れる、インスタレーションの形式が試みられている。
松井が博士論文*で竹岡雄二の作品に言及していることが示す通り、この「からっぽの空間を見る」という鑑賞は、2016年に国立国際美術館および埼玉県立近代美術館で開催された「竹岡雄二 台座から空間へ」展での体験を私に思い起こさせた。
展示台の上やショーケースの中の「空間」を提示することで、「展示室」という抽象空間そのものを相対化させ、自分が今立っている場所が足元から崩壊していくような感覚、そして同時に現実から切り離された自分自身こそが展示物になるような感覚がそこにはあった。
松井の作品の場合、同じ「からっぽ」であっても、それは「展示台」や「ショーケース」といった非日常的なものではなく、「住宅」という私たちの生活そのものの上にある「からっぽ」である。
住宅の「割れ目」に立たされた私は、目の前の現実と繋がったままその外側へと浮遊する。それは現実空間で本当に存在する外側の空間、つまり宇宙空間に浮遊するような体験であった。
展示において「光」をコントロールすることは重要である。それは空間を繋いだり分断したり、さらには展示台や額縁と同様に「作品」であることを主張する括弧にもなる。
さて展示室を出てすぐ横の廊下には、「本物のモデルハウス」の内部を撮影した《モデルホーム》という写真作品が展示されている。写真内の主な光源は「窓からの外光」である。
この「大きな光」は、見本品の家<モデル>と私たちの暮らす日常<ホーム>を地続なものとして繋げ、決して宇宙まで行かずとも、すぐそばに生物が生きることを許されない「からっぽの空間」が在ることを確認させるのである。
*松井による博士論文『「足りなさ」を基準とする美術表現のあり方についての考察』
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