「彼あるいは彼女が語りたかったことについて」
フェルメールの絵が見られると知り、すぐに京都市美術館に行った。2011年のことである。平日にもかかわらず長蛇の列ができていて、道中一緒になった女性と順番待ちするにはあまりにも長い時間だった。
周囲に人がより固まっていてなかなか絵を見ることができなかった。女性とはすぐにはぐれてしまったがとくに気にすることもない。
僕は少しずつ人と人との隙間を見つけては前に進み、展示されている絵に近づいていった。『手紙を読む青衣を着た女』について語る。
窓(描写されていないが、描かれていない場所から光が入っていたのでそこには窓があったはずだ)から差しこむ光、それもぼんやりとした自然光のなかで青衣を着た肉付きの良い女が、机の前で立ったまま手紙を読んでいる。手紙の内容に思わず椅子から立ち上がったように見える。広くはない部屋だ。物も多い。けれどあるべき場所にすべてが落ち着いていて清潔な印象を与える。
とても小さな絵だった。正方形の図鑑の背表紙みたいである。家具や壁にかかった大きな画板、女の肌、身につけた青衣、すべてが細かいタッチで小さく描かれていた。
手紙にはなにが書かれていたのだろう。誰が彼女に送ったのだろう。なぜフェルメールは手紙を読む女の絵を描いたのだろう。
展示作品をすべて見終わり、僕は偶然知り合った女性とは二度と会えないまま帰路につき、福島では復興が進み世界が変化をみせたあとも絵に込められた本当の意味を汲み取ることができなかった。
6年経ち、かつて鮮明であったはずの手紙を読む女が、僕の記憶のなかでその後ろにのばす影を濃くしていることに気づいた。自分の奥深くに何にも表現しがたい影があることを知った。もしかしたらフェルメールは、何かの身代わりに彼女を描いたのかもしれない。影のなかに大切なことを隠しているのではないかと思う。そして僕は彼らから手紙を受け取ったのだ。