足を踏み込んだとき、多分私は油断していた。「文化祭っぽいな」とナメてたら、即座に脳ミソわしづかみ級の衝撃が襲ってきたーー宇宙一の漫画家を目指す平野智之によるキャラクターの数々。私は“一反もめんに跨ったケロロ軍曹”にヤられた。
二度見三度見してもまだ足りない藤橋貴之の細密鉛筆画。松原日光の刺繍画は、長すぎるステッチをどのような手つきで揃えていったのか空想が広がる。スウィング所属のXLさんらによる「京都人力交通案内(驚異のバス力とまぁまぁの電車力)」は、是非とも体験したいパフォーマンスだーー電話で乗り換えのコツを教わるだけだけど、激混み市バスから解放されるとしたら!
個々の作品力はもちろんのこと、人と人との「かかわり」を強く感じる展示だった。川越病院「クラフトの時間」の展示では、患者さんたちの作品とともにに職員Iさんの文章が紹介されている。A4サイズの病院の封筒に、急に制作をやめた患者さんについて綴ったのは「いま目の前で起こっている状況を書き留めねば!」という熱さだったのか単にIさんのクセなのか。前述松原さんのコーナーにはお母さんがファイリングしている日記が。文字のストロークも横に長くて、刺繍の手つきを思わせる。松原さんの日記をまとめ、生活をともにするお母さんのことも知りたくなる。
正直、この展覧会についてどう説明するか、過剰に迷ってしまう自分がいる。京都府が立ち上げた障害者文化芸術推進機構の第一回展覧会。アールブリュット? アウトサイダーアート? グチュグチュ考えた挙句、この展覧会を誰に語りたいかといえば「制作の現場は孤独」と無意識に決めつけてしまう自分(や何人かの友人たち)だった。今回紹介された作家の障害の内容うんぬんよりも、彼らが誰と(家族や施設職員)かかわるなかから作品が生まれてくる過程が想像できる展示だったから。
多分、ヒトというのはちょっと困ったとき、それを何人かで「んー、どうにかならんかな?」と工夫する気になったときに、ぴゅっと新しい芽が出る生き物なのかも。「困り」の内容が障害であることもあれば、そうでない場合もあるだろう。表現やアートの制作に限らず、孤立してキツい思いをしているとしたら「幅と奥行き」が必要なのだ。