Gallery PARCのヤマガミユキヒロ展に行く。2階の三面ある広い壁は沢山の絵が飾られていた。正面奥の壁には大きな1枚の絵、左右の壁には少し小さめの絵が壁を埋めるように並ぶ。いろいろな場所や建物が、どれも方眼紙に綿密に描かれた風景のデッサンだ。細かく描きこまれたスケッチを鑑賞していると、モノクロの絵の中にふわっと色彩が浮かんできた。それが形になり、動き出したので、とても驚く。その時見ていた横断歩道が描かれた絵には、人や車が通りを行き来し始める。気付くと視線を広げて周りの他の絵のどの風景にも色が付いていた。物質化された風景の中に、思い出されたかのように、有機的な現象が広がってくる体験は、とても新しい風景画の鑑賞体験だった。そしてそれは、新しいアニメーションでもある様な気が少しした。
翌日、もう一度展示を観に行く。今度は確かめるためだ。方眼紙に描かれていたと思ったのは、プロジェクターの線だった。本当は真っ白な絵に、風景デッサンは描かれていた。映像の投影は7分で一周する。終りと始まりの間、白い画面が映る。それもプロジェクターからの光であり、方眼紙状の線が偶然に映し出される。建物だけが描かれた最初の場面では、余計に製図を思わせた。7分間に流れている映像は、どの絵にも朝から夜という一日が同期化された時間が流れる。一日のサイクルは、季節には統一されていない。それぞれの場所の取材を何度も重ねて撮られた映像を、編集し、風景画に重ね合わせる。作家はあくまで風景画を描いているという拘りがあった。だから、絵と映像を予め合わせてモニターひとつで展示するのでは意味がない。
見慣れているはずの風景を、絵画と映像という二つの現象に分ける事で、新しい感覚を鑑賞者に与えてくれる不思議な風景画だ。その風景画には、映像よって時間が流れてくる。だけど、決して物語が映っている訳ではない。ただ時間が、それも特殊な時間が映し出されている。