18時から翌日の朝9時半までという時間帯にHAPSオフィス1階で見ることのできる「ALLNIGHT HAPS」。本作は、そこで開催される連続展示「日々のたくわえ」の第一弾である。テーマは「狩猟」。作家である井上自身も狩猟免許を持つ猟師である。
展示スペースには、狩猟現場を模すかのように木が立てられ、地図や注意書きなどの手書きのメモが貼られている。奥のモニターには撃たれる直前の瞬間だという鹿が映し出されており、その目はじっとこちらを見つめている。そして展示スペースと道路を区切るガラスへと、画像と短い文章が交互に映写される。鑑賞者は、京都の街中の路上で、奇妙な空間からこちらへと向けられるこれらのイメージを単に受動的に「見る」のではなく、「読ま」なくてはらない。とはいえここで読むべき映像は、例えば宮沢賢治の『なめとこ山の熊』のようになにか教訓めいたものを与えてくれるわけではなく、『老人と海』(ヘミングウェイ)のように、相手との命がけの駆け引きがあるわけでもない。あるいは、『白鯨』(メルヴィル)におけるエイハブ船長のような、獲物への妄執や狂気のようなものも存在しない。獲物を撃つという狩りにおける決定的な瞬間も、静止画という制限を差し引いても、おそらくは意図的に排除されている。
本作で提示されるのはある種の事実のみである。井上は狩猟という現実を切り取り、純粋な事実として提示してくる。私たちは、ある種の動物を害獣として駆除している。時には猟犬が迷子になることもある。不注意で大きなけがをする。撃ち取った動物が妊娠していることもある。しかし胎児は殺した数には入らない。ある猟師は子鹿を撃てなくなり、別の猟師は犬と人間以外は撃てると言う。井上が初めて鹿を撃ったとき、鹿は井上を見ていた。これらの事実には、狩猟という行為にまつわるいかなる価値判断も道徳観念も含まれていない。
私たちは日々、好むと好まざるとにかかわらず、多くの動物たちを殺し、それを食しながら生きている。その普段は見えない領域をあえて示し、生命の尊さと罪深さを説くこと、これはきわめてまっとうな議論であるが、まっとうすぎるが故に力を持たず、そして今やあまりにもありふれている。命の尊さという言葉自体が、すでに効力を失ってきているのだ。井上の作品は、事実だけを提示することによって、あらゆる議論の前段階にとどまる。性急な判断を差し止め、まず現実を見つめること。おそらくはこれこそが、現時点でとりうるもっとも誠実な態度なのであろう。
2017.08.30
ALLNIGHT HAPS 2017 前期「日々のたくわえ」#1 井上亜美「まなざしをさす」
井上亜美
HAPS
2017年8月1日(火) - 2017年8月31日(木)
レビュアー:渡辺洋平 (32) 大学非常勤講師