家が取り壊されるとフェンスで囲われる習慣であるらしく。薄い水色のフェンス。幸せでも不幸でもない時の流れを可視化するように。
中上健次のいう “路地” が、テンテンの漫符でなぞられている、と思った。ほら漫画であるでしょ「アレ?さっきまであったんだけど」って、不在・喪失を表す記号。傍に、まだ建っている住居。お地蔵様?を抜き去られた卍印タイルモザイクの台座。この日は夕刻から京都市美術館前庭の舞台車で「中上健次ナイト」が行われる、というので “予習” をしてきたのだ。中上文学で描かれた路地は和歌山だけど、京都にももちろん差別されてきた地域が点在している。京都にしては妙にぽっかり空が広く見える。そしてどこかシーンとしている。むかしはもっとゴチャゴチャうるさかったんだろうか。読書の記憶を辿り、生活を想像してみる。
再開発のフェンスだの町内会の提灯だの、地区の中と外を区切るモノ。それを乗り越えて混ざるのは音だ。アーティストがかつての音をポツポツ置いている。遠くのピヨピヨ信号と鳴き交わす録音された鳥の声。河原町通りの走行音を背後に聞きながら、前景に出っぱなしの井戸水がボシャボシャ。放置された廃材と設置されたオブジェの曖昧な呼応。光景と音が、ポッカリしたキャンバスの上に描かれた絵、のように、見えなくもない。
ざっくり、あっさりした手つきで「公園化」された空き地。崇仁地区は変化の途上にあって、異郷からのアーティストがやってきて、みんなが楽しめる期間限定の公園(SUUJIN PARK)にしてくれて。だからこんなに美しいのかな、と思ったら泣けてきた。
展示空間から離れて河原町を北に上る。東入る方向を覗くと、ちょいちょいテンテン囲みのフェンスが続いてて、まだまだ日々は続いていくよ、と思う。展示が終わっても、またここに来たいと思った。なんだか落ち着くし。京都で降りなくたって「すうじんほいくしょ」が見える手前で東海道線が減速し、車窓を地区がかすめるとき、あの日の体感が、ふわぁ、と、よみがえる。