Exhibition Review

2022.03.25

オンライン・オフラインクリエーション 「3 Layers」

Monochrome Circus

THEATRE E9 KYOTO

2022年2月11日(金) - 2022年2月13日(日)

レビュアー:役者でない (29) 個人事業主


 

「3 Layers」は、2022年2月11日から13日にかけ THEATRE E9 KYOTO にて行われた、ダンスカンパニーMonochrome Circusの舞台公演。上演作品は『京都自粛生活日記 Don’t Worry!!!』と『怪物』、『TSUBUTE』の3本。’06年、’19~’22年、’20年という重なりながらもバラバラな時期に創作された作品を一堂に会する試みだった。総じて、この社会の現在を照らし出した公演だったと感じた。

『京都自粛生活日記 Don’t Worry!!!』は’20年に創作された作品で、Monochrome Circus メンバーである森裕子と坂本公成の2名が出演。森は終始坂本の体の上に乗って客席に目を向け、2020年4月から5月にかけて自身が書いた日記を諳んじていく。語る表情豊かな森に対して、森を載せた坂本は客席のほうを向かず、無表情で様々に体勢を替えたり、森を載せたまま移動したりを繰り返していた。それぞれを比較すれば、森は「森自身」というか、一個人として舞台上に存在していたように思う。それに対し坂本は坂本個人というより、新型コロナウイルスの第一波に翻弄されていたその当時の空気や、群衆、社会といった、一個人の思考を超えた大きなうねりの象徴のように感じられた。一人ひとり感覚や思索。それを載せて動き続けるとらえどころのない「総体」。その対比を感じられて興味深かった。社会全体として我々がどのように動くか、ももちろん大切だが、結局は一人ひとりの肌感覚に依拠して、自分で考えて行動していくしか無い。そのようなことを考えていた。

2本目に上演された『怪物』は、’06年に創作初演されてこれまで何度も出演者を替えて再演されてきた作品。今回出演したのは斉藤綾子。先日、令和3年度京都市芸術新人賞を受賞した若干30代のダンサーだ。そのソロダンスは「人間の体がこうも変化するのか」と驚嘆させられるような動きの連続だった。訓練を重ねてきた身体の可動域の可能性、「幅」を感じた。
はじめ斉藤は「人」の状態を保とうとするように、ゆらぐ体を制して直立している。その体が上下左右にうごめき、上半身をピッタリと下半身につけて折り曲げ足の間からずるりと腕を伸ばした様は、人に化けた妖怪が正体を現したようだった。
徐々に舞台全体へ動きの縄張りを拡げながら、四足や奇形の赤子のような手足を縮こまらせた仰向けなど、およそ社会生活では目を背けられそうな動きが展開される。耳には、柱時計や高架の線路を彷彿とさせる重厚でけたたましい「音楽」が入ってくる。コロナよりはるか以前から連綿と続く科学と資本主義主体の生活が、我々の体をいかに歪ませ、変質させてきたかを考えさせられた。

最後の作品『TSUBUTE』には、1作目にも出演した森、坂本に加え、3名のダンサーが出演する。舞台上にはマイクと、紙を丸めた礫(つぶて)の山、そして椅子が一脚設置される。森、坂本はそれぞれ黒尽くめの衣装で登場する。坂本はそれに加えねじ曲がった角のカチューシャを身につけ、一目で悪魔と分かる。『京都自粛生活日記……』と同じく客席に目を向けることはなく、その上ほぼ直立不動だ。いやに大きく見える。森は方方に腕を振り回して踊り、やがて紙礫の山の側、椅子に突伏する。
他の3人のダンサーはその後登場する。うち1名は畳ほどの大きさの板(縁が光っている)の下にずっとおり、あとの2名がその板を持ち、ゆっくりと、ときにすばやく移動する。たまに下の1人を潰すように板を下げ、また上げる。下のダンサーは苦しそうに見えるが、しかし板が彼を振り切るように早く動いても必死にそれについていき、けして板の下から出ない。その様を見ていて、以前何かで耳にした「人は、変化することによるその後の不安よりも、現状の苦しさが続いてでも変わらないことを選びがちだ」という話を思い出した。
3名が舞台上に見えなくなり、森が和合亮一の詩『詩の礫』を発する。その詩は明らかに東日本大震災と原子力発電所が意識されている。聞きながら先の3名のダンサーを思い出し、厳然と立ち続ける坂本を眺めると、坂本が、我々が安心しきって便利に用い、依存していた「本質的には危険な物」を表現しているように思えた。口では「脱却しなければ」と言いながらも実際には脱却しきれていない原子力発電はもちろんそれに当たる。地球全土を結ぶ輸送システムも、新型コロナウイルスを世界中に広げてしまったが確かだとしても無くしてしまっては今の生活が成り立たない。インターネットや、それを用いるためのパソコン、スマートフォンだって現代人の体に悪影響を及ぼし変質させてしまうとしても、もうそれなしではできなくなっている仕事、営為が多々ある。この作品で、前の2作品も一つに繋がった気がした。

終幕の直前、それまで立ち尽くしていた坂本がゆっくりと膝を折り、地に沈んでいく。その様はずっと続いていくと疑ってすらいなかった文明や科学がゆっくりと陥落していく前兆に見えた。ということは「悪魔」とは、何に対する何者のことを指していたのか……。

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