マロニエ。この言葉に蜂蜜を販売する店舗に勤めたことのある私は「マロニエ蜂蜜・トチ蜂蜜」というワードを頭に思い浮かべた。京都河原町にはそれと同名の「ギャラリーマロニエ」がある。名前の由来はトチノキ科の落葉高木からきているのだろうか?お店の名前一つとっても誰かの何かと接点が出てくるのだなと、ふと思う。ここには異なる3つのギャラリースペースがあり、現在開催されているのは5Fの「奥村博美 陶展」。
以前ここに隣接しているギャラリーにしかわへ来たことがあるが、にしかわはマロニエから独立したギャラリーらしい。そのにしかわを後ろ目にエレベーターに乗って5階で降りる。そこで私は、会場に入る前から奥に大きな存在が佇んでいることに気がついた。あれは非常に大きそうだ…そう思いながら扉をくぐると、シンとした静かな会場が私を出迎え、入る前と空気が変わったことを肌で感じた。外からお店に入った時の賑やかでわくわくした空気感とは違った、少し重く、それでいて柔らかに全身が包み込まれる様な不思議な空気感になったのである。会場が完全に作品のものとなっている、そんな感じだ。
遠目にも大きく見えていた作品は、様々な装飾の施された陶板で、パネルに設置して半円状に展開し会場と鑑賞者をぐるっと囲むように展示されている。近づくと高さは私の身長171cmを優に超えて180cm~190cmはあるだろうか?とにかく大きい。じっくり観てみると、私の目寸で縦40cm×横90cmの陶板が幾数枚もぎゅっと繋げてある。この圧倒的な存在感の塊に私は「まるで土でできた湧き上がる炎」という印象を受けた。作品の表面には上へ上へと天を目指しているかのような突起が無数あり、ピンクにパープル、ゴールドからシルバー、ブルーやグリーンと様々な色の変化が見る角度を変える度に目に映り、それが揺れ動く炎の色のように見えたからだ。土という“自然”のものに人の手が加えられることによって“人工物”になり、それが窯で焼かれることによって人の手から離れ本物の炎へと、“自然”なものへと還っている。自然という圧倒的な存在感に萎縮してしまいそうになる上に、ここに立っているとなんだか熱いと感じる錯覚までしてくる。まるで炎に包まれているみたいだ。会場に入った時に感じた空気感の正体はこれだったのか。この作品には大地を焼いたありのままの記録が備わっている、そんなふうに感じた。
私がこの作品を観たのは昼下がりの午後、まだ陽気な日差しの明るい時間帯であった。この明るい中でこんなにも力強く魅せてくれる炎だ、辺りが暗くなるにつれてそれは、更に強く煌めく姿へと変貌していくのではないか。そう考えただけでわくわくしてくる。夜の帳が下りたころにもう一度、この作品を観たいという余韻に浸りつつ私は会場を後にした。