Exhibition Review

2016.10.25

温故知新―京都府内の学校所蔵考古・歴史資料展

京都文化博物館

2016年8月13日(土) - 2016年10月10日(月)

レビュアー:木村晶彦 (37) ブロガー


 
 学校にも文化財がある。学校の敷地内から出土した文化財、学校に寄贈された文化財、考古学クラブの部員が発掘した文化財、授業で使用された文化財の模型標本など。京都市内・京都府内の各学校が所蔵する、それら考古資料・歴史資料が一堂に会した展覧会だ。
 
 京都には歴史の長い学校が多い。学校が所有する文化財もそれだけ多い。しかしながら、歴史資料が持つ重要性は、その重要性ほどには顧みられていない。一校でも多くの学校が、文化財の価値を評価し、保存活動に取り組む契機となることを、期待しての展覧会でもある。
 
 府立鴨沂高校は、前身校の創設以来、140年以上の歴史を誇る。したがって、考古資料の所蔵も豊富だ。校地がある左京区荒神口一帯は、藤原道長が建立した法成寺の跡地であり、贅を尽くした緑釉瓦(緑に塗られた高級瓦)が多数出土している。夏目漱石『坊ちゃん』の赤シャツ先生のモデルとされる、考古学者・横地石太郎寄贈の土器や石器もある。地理歴史科の教材であった、世界人種の模型標本(陶製人形)も保存されている。
 
 同校で3年前に発足した「京都文化コース」では、考古資料・歴史資料に触れた生徒が、考察を深める時間が設けられている。展示館の京都文化博物館では、展示資料のガイドツアーをコースの生徒が担当した。解説パネルでも、藤原道長を寓したキャラクター「みっちー」や、人種標本にちなんだ日本人・京都人をイメージしたイラストを、それぞれ生徒が描くなど、単なる座学に留まらない、自主性・積極性を促す取り組みが見られた。
 
 彼らの取り組みも興味深いが、私が最も感嘆したのは、各高校の考古学部や研究会のOB・OG諸氏の志の高さである。激動の戦後や高度成長期を経て、学問としての考古学が、疎かにされつつあるのではないか。そのような危機感が、青雲の志を駆り立てたのであろう。
 
 現在は廃部となった鴨沂高校地歴部の目標は、「過去の歴史を知って、現在の社会をよりよく理解するものの集まりである」。実に堂々たるものだ。昭和35年(1960年)発行、地理歴史研究会の会誌には、「土器と石器の見分けしかつかない。そんなことでは情けない。」とも記されていた。
 
 府立城陽高校は、昭和47年(1972年)の開校時、グランド完成予定地に古墳群があり、そこで生徒にアンケートを取った。「グランドが重要」と答えた生徒が多数を占めたが、「グランドと古墳を両立すべき」と答えた生徒も一定数いた。また古墳について知らない生徒も多かった。
 
 『城陽高校新聞』の創刊号では、アンケートの集計結果を掲載するとともに、「我々のグランドをうばっている古墳に対する知識もなく、むやみに「古墳をこわせ」ではいけない。」と明言し、結果出土資料は保存され現在に至る。
 
 多数意見を鵜呑みにせず、少数意見を尊重し、熟考を重ねて着地点を探り、善後策を練った高校生たち。考古学の展覧会で、民主政治のあるべき姿を学ばされるとは思わなかった。故きを温ねて新しきを知るとはこのことだ。望外の形で収穫を得た。
 

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