古民家などの生活空間に現代美術の作品を展示するのは、今日ではさほど珍しい試みではなくなっている。それでも今回、もともと両替商の邸宅である、日本建築の瑞雲庵で行われたグループ展「Erosion/Transfiguration-侵蝕と変容の先の関係性へ-」に期待を持ったのは、出展作家の何人かの作品を知っており、今回の展覧会ではどのような作品を展開するか興味をひかれたことと、後述する野心的とも言える展示の仕方に期待を持ったからである。
会場に入って、まず目に入った、土間に吊り下がっていた今村源の作品を見て、土間の空間に合った存在感を感じ、いい展覧会になりそうだと期待が広がった。中に入り、ほかの作品も見ていくと、力のある作品が揃っていて、作品が空間にのまれてしまうことはなく、和の空間をうまく生かして、しなやかでかつ強い存在感を持った作品となっていた。
それは、作品の中に物理的な「空間」がある作品が多いからかもしれない。例えば針金を編んだ作品だとか、穴が穿たれた壺だとか、そういった「空間」を感じる作品が多く見られた。作品が内包する空間によって、それぞれの場の雰囲気を作品に取り込みやすいのではないだろうか。本展では、そういう、空間の変化によって影響を与え、逆に空間に影響を与えうる作家を集めたのだと推測している。
この展覧会は、会期の半分で「2nd part 変容」と題する第2部が展示されるという。これは、作品が文字通り1st partから変容するという。また「バトルロイヤル」(これは公開されたものだが筆者は見に行けなかったので、どのような戦いがあったのかは分からない)で勝ち残った作家の展示も追加されるという。果たして、この展覧会に、どんな変化があるのだろうか。
瑞雲庵、2回目の訪問である。会場に入ると、1st part同様、今村の針金像が吊り下がっていた。変化しているのは、その横の壁に、1st partにはなかった、タブレットを利用した映像作品が多数設置されていたことだ。
靴を脱いで中に入ってみると、「変容」の仕方はさらに様々だ。ほかの作家とのコラボレーションもあるが、自分の作品の形態自体を変えてしまう作品もいくつかあった。また、バトルロイヤル勝者の一人、富永一真のガラスの作品は、透明ということでやはり作品の中に「空間」を取り込んでいて、本展によく合っていた。
「変容」という意味で、特に興味深かったのは、日下部一司のインスタレーションが、今村とのコラボレーションによって、1st partより印象が強くなっていたことだ。今村が持ち込んだものは、ごく小さなきのこのオブジェと菌糸を表わす針金が数センチだけ。私が気づかなかった、ライティングの変更などの工夫もあったのかもしれないが、いずれにせよ、少しの関わりによって作品の印象はここまで変わるのだと感心した。
1st partより雑然とした印象を持つ展示もあったが、それも含めて、作品の変化を味わうことができた。
「侵食」と「変容」というテーマや、作家の選定などに、本展のキュレーターの目指すもの、すなわち「関係性」も見て取ることができた。