京都国立博物館の名品ギャラリーでの展示を見ながら、取り残された。
日本のイメージに全く接続しない沖縄のことが湧き上がってきたからである。
京都へ出かける前日に、画廊沖縄で行われた比嘉豊光の写真展「骨は月を見る」の最終日に立ち会った。
端折って説明することは憚られる展示であるので内容はここでは触れないことにする。
閉会後、関係者が集まって話す機会を得た。私は沖縄出身であるにもかかわらず、方言が飛び交う議論のほとんどが聞き取れず、理解できないままに帰途についた。
現在、京都国立博物館で展示されている大日如来や阿弥陀如来は、存在感があり、それこそ圧巻である。
それらが並べられ、平安、鎌倉、と編み出されていく日本美術の物語に、自分は接続していなかった。
沖縄県の成立の背景は、他府県とは異なる。美術も多少異なる文脈を備えている。
かつての首都として存在感を保つ京都という街は、「文化的」なものの存在によって戦禍を逃れた。
展示されている品々は、東京が日本の歴史の厚みを演出したい際に参照されるものでもある。
何百年も前に、中心であり続けた京都という街が歴史に支えられた街であることは揺るがない。
各時代の先鋭の技術を結集した美、その蓄積は権威そのものだ。
その一方で、かつての首都であった首里及び那覇の街は戦火によってdeleteされた。
当時沖縄に残っていた品々は焼かれて当然のものだったのか、京都の宝物に比較して劣るものであったのか。
そのような問いさえ、浮かび上がることはないだろう。沖縄で何十万人の人が死体になったことは思いだされない。
沖縄と京都は近代以降は全く交差しない場所であるように感じられた。
沖縄にも国宝に指定されている宝物はあるが、国の事情で相対的に選定されている品であることは立ち止まって考えたならば、わかることである。「美」にまつわる制度の厳格さに直面して、ほとんどの展示を受け止めきれずに通過してしまった。京都でひとり、沖縄にぶつかっていた。