開催情報
【作家】貴志真生也
【期間】2014年5月10日(土)〜6月14日(土)
【料金】無料
http://www.kodamagallery.com/index_jpn.html
会場
会場名:児玉画廊|京都webサイト:http://www.kodamagallery.com/
アクセス:〒601-8025 京都市南区東九条柳下町67-2
電話番号:075-693-4075
開館時間:11:00~19:00
休館日等:日曜日、月曜日、祝日休み
概要
児玉画廊(京都)では、5月10日より6月14日まで貴志真生也「調節方法 (1)見つけるためのダウジング (2)保持するための雪吊 (3)処理するための活け締め」を下記の通り開催する運びとなりました。貴志は、インスタレーションおよび立体作品を主に制作していますが、その作品は彫刻的な立体感/量感の掴み方とはおよそ対極的で、機械的にすら思えるシンプルな構造、ブルーシートや発泡スチロール、製材された規格木材等の素材による独特の軽やかさがあります。これまで、メゾン・エルメス(銀座)のウィンドーディスプレイ(2011)や国立国際美術館「リアル・ジャパネスク」展(2012)など多数の展示、企画に参加し、いずれも鑑賞者の作品解釈に対して、いとも簡単にその予定調和を粉砕するアプローチに大きな注目が集まりました。
貴志の作品には概して、「造形に具体的な表象が見られない」「構造の規模に比して量感を伴わない」「某かの装置を思わせるが無目的である」「複雑に見えて極力加工や造作に対して抑制的である」といったいくつかの傾向が見られます。一見無味乾燥としたまるで取りつく島の無いような作品ではありますが、これらの視座から作品を読み解くことによって、貴志の作品を理解する一歩を踏み出すことはできます。
「具体的な表象がない」とは特定のモチーフを形作るということをしていない、ということになります。例えば貴志が作品に「バクロニム」(2010年)や「アナクロニム」(2010年)というタイトルを付ける時、意味なきものから新たな概念を作り出すという行為(バクロニム:無意味な文字列から意味のある頭字語を作る)、または元の意味から独立してすでに別の意味を獲得してしまったという結果(アナクロニム:元は別の意味のある頭字語であったものがすでに一つの単語として認知される)、という、その作品の制作過程を示すとともに、作品の根本的な無意味性を作家自らが強調するのです。
「規模に比して量感がない」という点について、貴志の作品は広大な空間を支配する規模の大きなインスタレーションとして提示される場合があり、またコンパクトな作品においても開放的でスケール感のある構造を取ることが多くあります。しかし、そこには「重量」や「圧迫」といった作品自体が存在を過度に主張するような気配が感じられないのです。骨と皮、という形容が相応しいかは疑問ですが、まるで肉のない骨格標本の展示を見ているような、観る者のイメージによってその量感を補完することを強いている、あるいはそもそも質量を放棄しているのだろうかと思わせます。
「何某かの装置のようでいて無意味」という点から貴志の作品を一瞥するに、その機能的に見える思わせぶりな構造と、一握にしては理解できないが故に何かを期待してしまう観る側の希望的観測とが相まって、貴志も意図せぬ誤解が作品と鑑賞者の間に生まれ、その齟齬こそが貴志の作品の面白味であるのです。
「造作に抑制的である」という点については、貴志の作品制作における根本的な姿勢に関わってくることになります。貴志は、アトリエにストックしてある素材、例えば、切り出した合板の端材や養生用のシート、緩衝材などをベースに作品の構想を組み立て、その既にある造形から作品の全体の構造をイメージし、それを実際に形にするための必要条件と過不足のない加工手段、作業手順を如才なく踏まえていくことで作品を「整えて」いきます。そして今回の個展においては、貴志は、特にこの「整える」ということに焦点を当てようとしていることが、いかにも意味深長な展覧会タイトル「調節方法 (1)見つけるためのダウジング (2)保持するための雪吊 (3)処理するための活け締め」から読み取ることが出来ます。
主題の「調節方法」とは文字通り、貴志のその制作に対する態度を表しているのでしょう。そして主題に連なる「ダウジング」「雪吊」「活け締め」という三つの項目は、それぞれその「整える」という制作態度を示す補足材料として示されています。「ダウジング」とはL字の折れ棒や振り子などを活用して鉱脈や水脈を探知する手法のことですが、貴志はこの方法論の神秘性に対してではなく、使用器具は使用者の嗜好に応じて「何であっても構わない」、という点に関心を寄せているのです。目的は明確であるにも関わらず、アプローチは至って曖昧である、それは貴志の作品が予期せぬ誤解や無意味性を織り込み済みのものとして有しているように、結果としての作品とそれに至る過程の自由度、そして鑑賞することの自由度、それらを全て一つの現象として捉えること、という貴志が作品において試す一つの「調節方法」であるのです。「雪吊」は、有名な金沢の兼六園などで伝統的に見られる植樹を雪の重みによる痛みから守るための保護技術です。しかし、美観のため美しい樹形を保つという目的を超えて、本来の鑑賞対象である樹木よりも「雪吊」の端正な機能美こそがむしろ愛でる対象となっている逆転現象があります。貴志の作品において、その作品が何を示すかという問いそれ自体は不毛で、ただその造形や構造の無言の美しさに心惹かれるのは、「雪吊」に準えて考えると得心がいくということなのでしょう。「活け締め」とは、釣り上げた魚の鮮度を保つために行われる特殊な処理方法で、魚の種類によって様々な手順が存在します。ポイントは魚が暴れて肉質を落とさぬように脳死や神経麻痺を的確に引き起こすこと、腐敗を遅らせることで鮮度を保持するという、非常に実利的な行為であるということです。生き物である魚をあくまで流れ作業的に取り扱い、決められた適切な処置を取ることで最大限に目的を果たす、そのプロセスの怜悧さ、感情や無駄の入る余地のない手際の美しさ、貴志の制作行為においてもそれは非常に重要なことであり、情感の排された佇まいから発する作品の存在感の澄明さはそうした精神に由来するのだと思えます。そして、これらは全て「~ための」というある特定の目的に対してのみ「整える/調節する」行為が必要となるのであって、その他には無意味であるのです。
今回の個展では、まずマケット的な規模の構成物を作った上で、次にそれを基に構造的なスケールを拡張したものを制作し、その大小の作品を対比的に展示することで、拡大する為に起こる必然的な状態の変化とそれに対処するために貴志が取った行程を示すという空間的な作品、そして、壁面を使って、キャンバス地やシートをベースに構成した平面的なものに、その構図や内容に対応する構造物を連関させて展示する絵画的なアプローチの作品を発表致します。これまではただ解けない数式のようにしか提示されてこなかった貴志作品の、何らかの解法を垣間見ることができるでしょう。つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。