• 2014年12月19日

開催情報

【作家】
神山貴彦
【期間】2015年1月10日 〜 2015年2月7日
【料金】無料

会場

会場名:児玉画廊|京都
webサイト:http://www.kodamagallery.com/
アクセス:〒601-8025 京都市南区東九条柳下町67-2
電話番号:075-693-4075
開館時間:11:00~19:00
休館日等:日曜日、月曜日、祝日休み

概要

児玉画廊|京都では1月10日より2月7日まで、神山貴彦個展「And then, they will tell me what would happen after this.」を下記の通り開催する運びとなりました。
 神山は、2014年3月東京芸術大学大学院美術研究科(油画技法材料研究室)を修了し、初出となった2014年5月~7月に児玉画廊|東京で開催致しましたignore your perspective 25「JUST THE WAY IT IS」において、展覧会タイトルの示す通り、さりげなく佇まうオブジェクトがそれだけで作品となり得るような、静的でいて緊張感のあるインスタレーション/彫刻作品を出品し、好評を博しました。
 神山の作品は、薄汚れた布切れや使い古したブラシ、合板の端材など、それぞれは美しくもなければ、使い道もないような素材を使って構成されています。しかしながら、良くあるファウンド・オブジェクトのそれや、ジャンク・アートの文脈に沿うと言うのではなく、そこに素材個々の特徴や組み合わせの妙を主張するような態度は見られません。集めては組み合わせ、壊しては作り直し、と繰り返すその行為に深く没入していった結果として素材同士が関係性を結んで線を成し、間を生み、絵画的とさえ思える構成でいつの間にか空間に「作品」として存在させるのです。作品制作にあたって何らかの意図をもって素材を選ぶということはなく、たまたま手元にあったもの、偶然その時その場に居合わせたこと、そうした自分の意識の外側にある事象に従うことを行動原理としているため、作為や意図、というような鑑賞者にとっては作品に対する解釈の糸口となる仕手の痕跡があまりに曖昧なまま放置されているように見えます。この作者の見え難さは、却って作品の存在感に澄明さを与えており、それが神山の大きな特徴であると言えます。
 「自らの意識では発生しない方法をいかに意識的に獲得するか。またその絶え間ない循環をどのようにつないでいくか。」と神山自身が評しているように、物や空間と対峙した際に、企図したのではない自然に湧き出るようなイメージを意識的に捉えようとしているのです。無意識的なものを意識的に捉える、と言うと神山と作品の間に大きな乖離があって、解決しがたい自己矛盾を抱えているように聞こえます。しかし実際の神山と作品の間にある関係は、素材/空間に内在する数多の可能態と神山の内に奔出するイマジネーションとを相互に通い合わせることによって、イメージと形態の不明瞭な繋がりを漸次的に確定させていくものと理解すべきでしょう。神山の意識的な働きかけ、つまり、手にした素材を置いてみたり割ってみたりと手探りしていく内に、ふとそれがぴったりと嵌る瞬間や反対に拒絶されるような瞬間があり、それを丁寧に掬い集めてはまた次の働きかけを繰り返し作品へと仕立てていくのです。ただし、その瞬間の訪れは作家には予め知り得ることはできません。その一瞬、光が差して暖かかったから、風が吹いたから、ともすればそのようなほんの些細な条件の積み重ねが偶然的に作用してその瞬間を作り出しているのかも知れず、神山にとって作品を制作するという行為は、決して神山単身のみによっては完結するものではありません。
 神山の作品には大きく分けてインスタレーションと彫刻的アプローチの2種類が存在します。ただ、単体で成立する彫刻的作品であっても空間に対する依存や与える影響の度合いは大きく、また、インスタレーションと言えども空間を支配するようなものではないケースも多く、両者の境界は非常に漠然としています。いずれにしても、神山の作品は空間に対して何らかの作用をするものであることは共通しています。それは、作品を起点にして、空間と鑑賞者との関係性をより親密なものにするような作用であるように思えます。親密であれどそれは馴れ合いではなく、分かち難い緊張関係にあります。作品が置かれている場所がどのようなところか、鑑賞者の立ち位置はどこか、床や天井の高さや色、光の明るさはどうか、すべての要因が絡み合う張り詰めたバランスをもって作品と為し、神山はそのバランスの結び目を探りながら一つの関係性の「場」を作り出すのです。ガストン・バシュラールが「空間の詩学」において、家や貝殻といった空間の類例を挙げながらそれらから喚起されるイメージについて紐解き、その思考アプローチを「トポフィリ(場所:topoへの愛:phili)」と呼んだように、神山の作品も、その思惟に沿って見るならば、空間と素材に接して引き出した「自らの意思では発生しない」イメージを散逸させぬようにどうにか形態に落とし込み、そうして得られた作品を核とした「場」へと収斂させていく、行為化された「topo-phili」であると言えるでしょう。
 今回の個展では1Fメインギャラリーではインスタレーション、2Fスペースでは彫刻的アプローチの作品による2フロアに渡る構成となり、この児玉画廊|京都の広く癖のある空間に対して神山が如何に応えるか期待をせずにはおれません。