• 2014年12月19日

開催情報

【作家】
宮永 亮
【期間】2015年2月14日 〜 3月21日
【料金】無料

会場

会場名:児玉画廊|京都
webサイト:http://www.kodamagallery.com/
アクセス:〒601-8025 京都市南区東九条柳下町67-2
電話番号:075-693-4075
開館時間:11:00~19:00
休館日等:日曜日、月曜日、祝日休み

概要

児玉画廊|京都では2月14日(土)より 3月21日(土)まで、宮永亮個展「see saw」を下記の通り開催する運びとなりました。宮永は一貫して自らが撮影した膨大な実写映像素材から映像作品及びビデオインスタレーションを制作しています。札幌国際芸術祭2014、MOTアニュアル2014、第五回恵比寿映像祭(2013年)など、近年は様々な舞台で発表の機会を得ています。
 宮永の作品は、映像というメディアがそもそもいかなるものか、そして、何をもって映像は美術作品たりえるかという考察を繰り返してきた結果として、被写体そのものよりも、そこに内在する「時間」についてや、対象を包括的に情報化する「尺度」(画像解像度や動画速度、明るさ、音声周波数など様々なサイズ/スケール)について、これらを主題として制作されていることが大きな特徴となっています。この点を念頭に置くことで宮永の作品は一貫性をもって見ることができます。
 映像は、一秒間に何フレーム(fps: frame per speed)という静止画の連続によって動画を生成しています。この点において観取されるのは、まず、映像におけるリアリティに対する疑義、実は、映像には現実に対してかなりの差異 (コマ落ち/認識できないほどの僅かな途切れ)が生じているのだという点です。そこから映像における「時間」の不確かさ:fpsという単位によって時間の濃度をコントロールできてしまうという伸縮性/可塑性という、宮永が映像の中に見出している「時間」の特殊性に繋がっていきます。
 そして、ビデオカメラで撮影する際には、16:9の画角に収まるように景色を「切り取り」、必要に応じて「ズーム」し「フォーカス」し、なおかつ編集段階においては更なる拡大縮小、速度調整など、速さ、大きさ、明るさ等ありとあらゆる「尺度」が映像においては自由自在に可変であるという点、これは宮永が作品において度々同じシーンを大きさや速度を変化させながら繰り返し見せることや、上映画面を過度に拡大/伸長したり、多面構成したりする可変性の強いインスタレーション的な展示形態と作品内容を紐づける要となっています。
 最初期の作品「Wondjina」(2009)においては、美しい自然の景色を収めた映像断片を寄せ集め、それらを何重にも重ねながら光を絵の具のように混ぜ合わせ、そして自然の有機的な形態が複雑に絡み合って生み出される抽象的な情景を、美の粋を丁寧に掬い集めるように静謐に収めてみせました。続く「地の灯について」(2010)では一転して、人工物の乱雑な光、工事現場の騒音、それらを何度も何度もループさせ、なおかつ重層させていくことで光と轟音を極限まで収斂させ、最終的にはホワイトアウト/ホワイトノイズにて終息する、という一種のカタルシスを生み出しました。両作品の端緒は正反対にありながら、いずれも映像素材を「時間」においても「尺度」においてもオーバードライブさせることで、終着点は同じく根源的な美へと肉薄するものでした。
 続く「arc」(2011)、「scales」(2011)では、より明確にその映像の「時間」と「尺度」を視覚化したといえます。「arc」においては円環的にイメージが繋がっていく構成であると同時に、過去ー現在ー過去といったように映像素材の「時間」も円環的に繋ぎ合わされ、音声も収録された環境音などを通常の速さだけでなく極端にスローダウンさせるなど「尺度」を変えてミックスされたものがオーバーラップしています。「scales」は、タイトルの示す通り「尺度」を特にテーマとしたビデオインスタレーションで、映像素材としては幾つかのシーンに絞ってそれを繰り返し使用しています。同じシーンが一画面に重なり合った状況であってもそれぞれ縮尺を変え、速度を変え、向きを変えるなど千変万化させつつ、異なる「時間」と異なる「尺度」を同一の映像素材から幾重にも生み出す、という試みでした。
 そして、今回も展示される近作「WAVY」では、「時間」「尺度」に加えて「場所」をも多元的に表現することに取り組んでいます。北海道から近畿に渡る長距離移動の間に各地の風景を捉えた映像で構成されていますが、ロードムービーのように撮影された日時や特定の場所を時間軸に沿って構成するわけではなく、それぞれの映像素材を細かく刻んで再構築することで多様な「場所」と「時間」を同時多発的に発生させ、且つそれらを同価に並列させることで、オリジナルの映像素材に映し出されていた地域的な特色や風土、つまり映像素材それぞれの個性は一つの映像作品内において均質化されます。経済成長に伴いそれに呼応する形で文化的、社会的に押し寄せる近代化の波とその副産物として、あらゆるものが均質化していることに対する宮永なりの批判としての側面もありますが、しかし、現代社会がそれを甘受しているのと同様に、鑑賞者はただ一つの美しい視覚体験を享受するばかりです。「物事は繰り返す。我々の中にそもそも反復的な何ものかがある。そしてそれと世界の反復が呼応する。」と、本作に寄せたステートメントにおいて宮永が述べたように、寄せては返す波が足元の砂地を洗い流し、いつしか均していくのと同じようにして、何度も重層し反復していくシーンの静かな遷移を眺めていると、いつの間にか足場を失ったかのような寄る辺のなさが胸を打つのです。
 今回の個展では「WAVY」の他、最新の映像作品を出展致します。「REALTIME-MATERIEL」という作品ではおよそ7分間のロングテイクで駅を行き交う人々を撮影した映像をベースとして、新たな試みを見せています。これまで多数の映像素材をレイヤー化することで特徴的な映像を作り出してきましたが、この作品では、一秒間に24フレーム、つまり、7分間でおよそ10,080フレームに及ぶ映像の一コマ一コマをシャッフルし、1/24秒毎の静止画像がランダムに映し出されるように再動画化されています。すると、7分間という全体のスパンは変わらず、24fpsという映像の進行速度もそのままであるにも関わらず、鑑賞者には目まぐるしい早送りのように認識されるのです。時間軸の再編、という現実にはありえない現象を視覚化します。展覧会タイトル「see saw」(見る – 見た)からも看取される通り、現在、過去、そして未来の時制の差異というものにより照準を絞って制作された作品によって展覧会を構成します。
 宮永にとって映像という手段で作品を作ることの目的の一つは目に見えるものの姿や美しさを留めておくのではなく、それを見て人の心が揺さぶられる根源的な理由にまで、映像というメディアを介して遡及することにあります。今回の個展において、映像とは切っても切り離せない「時間」についての考察をより深めることで、また一つその根源へと近接していくことでしょう。