京都に住むこと2 — 彦坂敏昭

Sorry, this entry is only available in 日本語. 京都に住むこと2 — 彦坂敏昭 — 2012年5月31日 場所:京都造形大学 インタビュー:京都造形芸術大学 芸術表現・アートプロデュース学科准教授 山下里加、同受講生 インタビュー協力:HAPS [clear] 彦坂敏昭さんは学生時代に京都造形芸術大学で学び、卒業後は東京でしばらく活動したのち、夫婦で京都を拠点としたいと思い始めたそうです。 HAPSに相談したところ、京都市東山区の六原学区に家を持つ方からも「アーティストに住んでほしい」という要望があり、お互いのニーズとタイミングが合い、2012年4月から現在六原学区に住んでいます。 [dropcap color=blue]1[/dropcap]六原に移住してみて思うこと[clear] Q:京都での生活にはなれましたか?  大学の4年間を京都で過ごしていたので、土地勘には問題はありませんでした。引っ越してきた3月の終わりから1ヶ月程が経ち、やっと生活のリズムが出来て、自分がどれくらいの時間や体力を作品制作に割くことが出来るのかがようやく分かってきたところです。 Q:HAPSのサポートはいかがですか?  東京時代と比べて物件の家賃が安いので、かなり助かっています。金銭的に余裕だけでなく、HAPSのサポートと(HAPSに紹介いただいた)大家さんとの出会いは精神的な支えにもなっています。とても感謝しています。 Q:アーティスト活動以外で何かお仕事はされていますか?  木曜日は京都造形芸術大学で講師をしています。その他に土曜日と日曜日に国有林の巡視業をしています。そこでいろいろな植物や生態系のことを考えながら、充実した土日を過ごしています。残りの曜日は制作関係の日として、自身の制作に関する研究を深めるために吉岡洋(美学、芸術学)さんの講義を京都大学へ聴講に行ったりもしています。 [dropcap color=orange]2[/dropcap]地域とのかかわり[clear] Q:住まいのある六原地域の好きなところはどこですか?  食べ物になってしまいますが「ニッタベーカリー」というパン屋さんが好きです。ラスクが絶品です。あと、おばさんがやっているのに「おやじ」という店名の焼きそば屋さんもおいしいですよ。 Q:六原の人や地域に対するイメージはどのようなものですか?  入り込むほど面白いという感じです。まちとしても、道路に面している建物のすぐ裏にひっそりとえびす様が祀ってある社があったり、隠れてる部分が結構あるんです。でもそういったおもしろい部分は、それに出会うまでに人間関係的な手続きが必要なんです。僕の場合はHAPSでの紹介があって六原に入ったので、いろいろなことをすっ飛ばしてしまいましたが、それがなければ、未だにこのおもしろさに気が付いていないかもしれません。そういう意味では、六原だけにとどまらないですが、京都のまちに住むというのはRPG(ロールプレイングゲーム)に似ているのかもしれません。誰にあって、誰に話しかけて、話しかける時にどういった話題の種を持っていなければ、この先のおもしろい部分に出会えない、といったイメージを持っています。 Q:東京などの都会より濃密な近所付き合いが大変ではないですか?  大変なのが好きなんです。そういう大変さを自分が楽しんでやろうっていう思いはあります。ここでは、全ての出来事が地つづきに関係し合っているような感じがします。ですので、地域の人と関わった出来事を自分の中で覚えておくようにして、もし迷惑をかけたらどこかでお返しをするように心がけています。現代人が避けてしまうような継続して地域に住み続ける緊張感が、今はすごく楽しいです。 Q:六原学区の方々とは、どのような交流がありますか?  地域の行事にはできるだけ夫婦で参加するようにしています。最近だと、ゑびす神社のお祭りの手伝いをしました。その後「足洗い」と呼ばれる打ち上げにも参加し、地域の皆さんと一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んで話しました。 Q:アート関係の活動の中で、六原の地域や住民に「こうなったらいいな」と思う事はありますか。  やっぱり、僕だけでなくアート全般に少しでも興味を持ってもらえると嬉しいです。 [dropcap color=red]3[/dropcap]現在の制作とこれから[clear] Q:制作している作品について教えてください  僕は「意識の幅」というものにすごく興味があります。よく聞くたとえ話ですが、「意識の幅」とは、人間が蟻をフォークで刺そうとしている状況を想像してみるとよく分かります。すぐにこの蟻が「人間からフォークで刺さされるかもしれない」という状況認識に至ることがあるのだろうかという疑問がおこります。蟻が人という存在を意識できるのか、または、フォークで刺されるということを意識できるのかという疑問です。こういったことと同じように、人間にも意識できるものと意識できないものがあるのではないかと考えることができます。僕は人が意識可能な部分を「意識の幅」と呼んでみることとし、その「意識の幅」の外側を絵画というメディアの中で考えたいと思っています。絵画を体験する際に鑑賞者それぞれが持っている「意識の幅」を確かめることのできるようなものを作りたいと思っています。 Q:周りの環境が作品制作に影響を与えているのですか?  周りの環境がどう影響するかについては、制作過程でではなく、出来上がったものが提示された後にあると思います。例えば鑑賞者が作品を見て、その作品体験によって「意識の幅」が拡張されるようなことが起こったとします。その後、その人が発見した「新しい意識」をどのような環境の中で使ってみようと試み、使ってみることで何が見えるのか。「新しい意識」の可能性を考える時に、環境がとても大切な要素になります。 Q:つまり、作品を作る上で周りの環境はあまり影響せず、その作品を見てもらうときに周りの環境が大きく影響してくるのですか?  そうなればいいなと思っています。作品体験によって生まれた「新しい意識」がその人によって環境に戻された時に、何が起こるのかにとても興味があります。  僕にとって一般の鑑賞者よりも近い関係である六原の方々に、僕の絵画をどのように体験したのかを継続的に直接聞くことができたら面白いなぁと思います。 Q:アーティストとしてこうなりたい、こんな美術展に出展したいという目標はありますか?  それを言ってしまったら面白くないと思います。アーティストは人から評価され、解釈される部分の方が圧倒的に大きいので、僕が思っている通りには絶対進まない。どの美術展に出すのかを目標にしてしまうことはあまり魅力的ではない気がします。 展覧会風景「TRANS COMPLEX – […]