東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)では、2017年12月6日(水)より、アーティスト・髙橋耕平の企画によるALLNIGHT HAPS 2017後期「接触の運用」を開催いたします。
記録や複製を扱う髙橋の作品において、対象に向き合う自身の「身体」の所在は常に意識されてきた主題です。本展では5名の作家と高橋自身の参加により、身体の運用を通じた作品の生成について考察します。
概要
ALLNIGHT HAPS 2017後期「接触の運用(英題:operating contacts)」会期 2017年12月6日(水)〜2018年4月23日(月)
企画 髙橋耕平
出展作家
#1 石川卓磨 2017年12月6日(水)〜12月26日(火)※終了しました。
#2 三重野龍 2018年1月9日(火)〜1月31日(水)※終了しました。
#3 笹岡由梨子 2018年2月6日(火)〜2月28日(水)※終了しました。
#4 柳瀬安里 2018年3月6日(火)〜3月26日(月)※終了しました。
#5 小林耕平+髙橋耕平 2018年3月30日(金)〜4月23日(月)
展示時間 18:00〜9:30(翌日朝)
会場 HAPSオフィス1F(京都市東山区大和大路五条上る山崎町339
主催 東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)
支援 平成29年度 文化庁文化芸術創造活用プラットフォーム形成事業
助成 公益財団法人 朝日新聞文化財団
企画趣旨
石川卓磨、三重野龍、笹岡由梨子、柳瀬安里、小林耕平。私が彼、彼女らの作品を経験した日やシチュエーションはバラバラだが、作品を後にした私の身体は静かに変化していった。やや遅れて不意に自覚化される身体への影響–重力への意識、形に内包される筋肉の働きへの想像、関節の機能性、視線を向けられることへの恐怖、主体性を宿した身体への懐疑。自らの身体を運用し作品化するという点に於いて共通する5人。個別の関心事、作法はバラバラであるものの、コントロールが及ばない事象に自らの身体を寄せ、摩擦を起こし、巻き込まれ、その感触の具合を造形・質感・所作・構造として作品に練り込んでいかんとする。時には身体の一部を蝕まれ欠損さえさせられるが、身体的な接触がこの世界を理解する上で必要不可欠だと言わんばかりに彼らの作品は生成されていく。調和のとれた場面に態々分け入り接触の結果を作品として表すその行為、その態度とは何なのか。私はこの5人の作家の作品を通じ考えたいと思う。時に私も分け入りながら。
石川卓磨の近年の作品に、ダンサーの動きを高速シャッターによる数千枚の静止画で捉え、それを現像、選択、連続させることで人間の身体そのものを出現させる映像がある。映像を構成する1枚ずつの静止画はダンサーを前にした石川の感知と反応の現れであるが、同時にシャッターを押す以前/以後の身体の緩みもそこから想像することが出来る。緻密なグレートーンの画像の明滅に隠れてやってくるその緩みは、石川の息遣いであり石川がダンサーに振動させられている証である。つまり我々が目撃しているのはダンサーの身体だけでなく、その動きによっていちいち解体されていく石川の身体のドキュメントなのである。また作中で屢々引用される映画や小説は、歴史の連続性から切り離し難い時代とその風景を検証するために、作品の支柱の一つとして用いられており、そこには批評活動を行うもう一人の石川の身体の使い方が現れている。
三重野龍。グラフィックデザイナー。三重野の繰り出す文字、形、佇まいに魅了されている私の眼は、その仕事を前にすると隅から隅まで見尽くしたいという欲望に駆られる。字でも絵でもない、書くでも描くでもなく繰り出し定着される形。制限ある枠組、ルールの上で身体をどう運用するべきか。観る人間がどのように眼を動かし留めるのか、或は見切るのか。三重野は、グラフィックデザイン、グラフィティ、ドローイング、プロダクト制作、身体表現の間を振り子のように運動する経験からそれを熟知し、独自の手つきによって眼の欲望の先を見通し、弾力を有したしなやかな形を考案する。例えるなら柔らかい関節を備えたアスリートの身体である。故に私は三重野が繰り出す形象に人格すら感じる。本企画のメインビジュアルからもそれを測ることが出来るだろう。
笹岡由梨子が綴る物語もそこに登場する人物も全く見事なハリボテである。しかし我々はハリボテの接合面を想像する事ができても実際に見る事は出来ない。
ぎこちない動きのマリオネットに貼り付けられた顔、形、色彩、動作、言葉、それぞれのパーツを無理矢理繋ぐ不安定な身体の制作と同様に、個別の物語と歴史上のコンテクストを荒っぽく接続してしまう快楽と危うさを、ハリボテ構造を持ち出す事で批評する。つまり物語の成り立ちを身体の成り立ちに例えていると言えよう。部分同士の接合は常に観客に託されており、順序と方法を間違えたならば、悪魔の身体を出現させることさえも予感させるハリボテ行為。笹岡の作品は鼻歌が突如軍歌に成り代わるような狂気の飛躍を我々に提供する。一見親しみ易い変拍子に乗せて。
柳瀬安里は文字通り自分の身体を差し出すことで作品を成立させる作家と言えよう。例えば国会議事堂前、高江、福島に。自らの生活の場と特殊な事情を抱えた場所での経験を接続することの危うさ、抵抗、そして希望について、敏感に反応する柳瀬の身体が記録される。声の震え、こわばった表情、行き先が定まらない歩行、カメラを見つめる眼。その場をうまくやり過ごすことが出来ず不規則に、ぎこちなく、時に停止する柳瀬の姿は、スクリーン前に立ち距離をもってそれを観る鑑賞者の居心地の悪さと重なる。つまり柳瀬の身体は我々の身体の代替である。記録映像を見ているにすぎないはずの我々は現場への接触を迫られる。柳瀬の身体の先行によって。
小林耕平は近年、物や出来事に自身の解釈=言葉を投げかける事でそれそのものの潜在性を露わにし、体験の変容を迫る作品を制作する。しかし言葉によって変容させられるのは何も物や出来事だけではない。映像の中に佇む作者自身への評価、印象、眼差しの変更をも迫られる場合すらある。言葉を口にすること。言い切ること。言い淀むこと。とぼけること。誤魔化すこと。物や事を通した対話や表明に小林自身が巻き込まれて行く様子をやや離れた位置から笑いを浮かべながら眺めている我々は、程なくして自分の存在根拠を疑うことになる。小林の振る舞いによって身体の輪郭を固めていたはずの諸条件が音を立てずに溶かされていく。今回は髙橋がここに参入、接触することで新たな身体の運用を体現する機会を得たいと思う。(企画:髙橋耕平)
出展作家
[1]石川卓磨(いしかわ たくま)1979年 千葉県生まれ
2004年 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース卒業
近年の主な展覧会に
「AIRS企画vol.5 石川卓磨『真空を含む』」(国際芸術センター青森・ACAC AVルーム, 青森, 2016)、「石川卓磨×山本良浩展 responsive/responsible」(teco gallery, 青森, 2016)、「教えと伝わり|Lessons and Conveyance」(TALION GALLERY, 東京, 2016)、「第9回恵比寿映像祭『マルチプルな未来』」(東京都写真美術館, 東京, 2017)、「石川卓磨、槙原泰介、ミヤギフトシ『犬死にか否か』」(TALION GALLERY, 東京, 2017)などがある。
上|《Motion/Capture#2》/2016/発色現像方式印画/278×417mm/ TALION GALLERY(東京)
下|《Tennis (Blow-Up『欲望』| Kiyotaka Suzuki, Aisa Shirai, Daisuke Awata)》/2017/HD video/6分24秒/TALION GALLERY(東京)
[2]三重野龍(みえの りゅう)
1988年 兵庫県生まれ
2011年 京都精華大学グラフィックデザインコース卒業
近年の主な展覧会に
個展「日常」(momrag, VOU, 京都, 2016)、VOU POPUPSHOP&三重野龍EXHIBITION in なごや(LIVERARY, 愛知, 2017)、 VOU POPUPSHOP&三重野龍EXHIBITION in中目黒(THE WORKS, 東京, 2017)、HAND-WRITTEN SHOWCASE(Bird代官山, 東京, 2017)などがある。
上|《それからの街》フライヤー/2017/A4
下|《MASK Open Strage 2017 金氏徹平「見せる収蔵庫」》ポスター/2017/B2
[3]笹岡由梨子(ささおか ゆりこ)
1988年 大阪府生まれ
2017年 京都市立大学大学院美術研究科博士(後期)課程メディア・アート専攻満期退学
近年の主な展覧会に
「COLLECTING TIME_2016」(Espace cheminée nord, ジュネーヴ/スイス, 2016)、「瀬戸内国際芸術祭 2016」(小豆島, 香川, 2016)、「まぼろし村と、あなたとわたし」(青森県立美術館, 青森, 2016)、「第19回岡本太郎現代芸術賞」(川崎市岡本太郎美術館, 神奈川, 2016)、「BRASHNAR OPEN STUDIO」(Brashnar art project, スコピエ/マケドニア, 2017)、「不安的海埔地-國際交流展」(WINWIN ART 未藝術, 高雄/台湾, 2017)、「群馬青年ビエンナーレ2017」(群馬県立近代美術館, 群馬, 2017)「command X」(8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Gallery, 東京, 2017)、「Hello Holy!」(ギャラリー@KCUA, 京都, 2017)などがある。
上|《Hello Holy!》/2017/ビデオ・インスタレーション/「Hello Holy!」展 ギャラリー@KCUA(京都)
下|《Swiss》/2016/ビデオ・インスタレーション/「COLLECTING TIME_16」Espace cheminée nord(ジュネーヴ)
[4]柳瀬安里(やなせ あんり)
1993年 埼玉県生まれ
2016年 京都造形芸術大学美術工芸学科写真コース 卒業
近年の主な展覧会に
「DIALOGUE展」(Johnbull Private Labo, 京都, 2014)、「PARK展」 (KYOTO ART HOSTEL kumagusuku, 京都, 2015 ※三人娘(菊池のえる・松本杏菜・柳瀬安里での出品)、「開校70周年記念国際交流展」(弘益大学校現代美術館, ソウル/韓国, 2016)、「不安な干潟-Insecure tide land-」(福利社 FreeS Art Space, 台北/台湾, 2016)、「フクシマ美術」(KUNST ARZT, 京都, 2016)、「光のない。- 私の立っているところから」 (KUNST ARZT, 京都, 2017)、「なにをみて、なにをつくる」(京都精華大学ギャラリーフロール, 京都, 2017)などがある。
上|《線を引く(複雑かつ曖昧な世界と出会うための実践)》/2015-2016/ビデオ/京都造形芸術大学卒業制作展(京都)
下|《光のない。-私の立っているところから》/2016-2017/ビデオ/京都精華大学ギャラリーフロール「なにをみて、なにをつくる」展(京都)、KUNST ARZT個展「光のない。-私の立っているところから」(京都)
[5]小林耕平(こばやし こうへい)
1974年 東京都生まれ
1999年 愛知県立芸術大学美術学部油画科卒業
近年の主な展覧会に
「六本木クロッシング 2007-未来への脈動」(森美術館, 東京, 2007)、「ヴィデオを待ちながら 映像-60年代から今日へ」(東京国立近代美術館, 東京, 2009)、「ユーモアと飛躍-そこにふれる」(岡崎市美術博物館, 愛知, 2013)、「アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋-日本と韓国の作家たち」(国立新美術館/東京、 国立現代美術館果川館/韓国, 2015)、「あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ」(豊橋会場, 愛知, 2016)、「瀬戸内国際芸術祭2016」(伊吹島, 香川県, 2016)、「小林耕平×髙橋耕平 切断してみる。-二人の耕平」(豊田市美術館, 愛知, 2017)、「小林耕平×髙橋耕平 遠隔同化 -二人の耕平」(KYOTO ART HOSTEL kumagusuku, 京都, 2016-2017) などがある。
上|《三本のしわ ニッポンの豚足 どこまでも転がるロースト》Three Wriiinkles Pickled Pigs Feet An Endlessly Rolling Roast/撮影:大西正一+中川周/「1974年に生まれて」(群馬県立近代美術館)
下|《東・海・道・中・膝・栗・毛》To-Kai-Do-Chu-Hiza-Kuri-Ge/撮影:中川周/「あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ」(豊橋会場, 愛知)
企画者プロフィール
企画:髙橋耕平(たかはし こうへい)1977年 京都府生まれ
2002年 京都精華大学大学院芸術研究科修了
近年の主な展覧会に
「パズルと反芻 “Puzzle and Rumination”」(Island MEDIUM, NADiff a/p/a/r/t JIKKA, 東京, 2012)、個展「史と詩と私と」(京都芸術センター, 京都, 2014)、「Imitator2」(MART, ダブリン/アイルランド, 2014)、「ほんとの うえの ツクリゴト」(旧本多忠次邸, 愛知, 2015)、「still moving」(旧崇仁小学校, 京都, 2015)、「PAT in Kyoto 第二回京都版画トリエンナーレ2016」(京都市美術館, 京都, 2016)、個展「髙橋耕平 – 街の仮縫い、個と歩み」(兵庫県立美術館, 兵庫, 2016)、「小林耕平 × 髙橋耕平 切断してみる。- 二人の耕平」(豊田市美術館, 愛知, 2017)、「小林耕平 × 髙橋耕平 遠隔同化 – 二人の耕平」(KYOTO ART HOSTEL kumagusuku, 京都, 2016-2017) などがある。
上|《史と詩と私と》/2014/撮影:表恒匡/京都芸術センター(京都)
下|《かつて「大西」を名乗った者達への聞き取り》/2017/撮影:大西正一/豊田市美術館(愛知)